命の存続

感情は感情。論理は論理。だがこいつには相応の裁きがあるように祈らずにはいられない。
ところで俺は、悪にはハードウェアとソフトウェアのような区分けがあると考えている。

食事を例に出してみよう。命を食される方からすれば動機関係無くその行為は悪だろう。しかし食する側の動機に害意は無く、闇金相談 神戸そこには命を維持するという目的があるだけ。
故にこれは命の存続そのものが悪と言えると共に、善悪の彼岸であるとも言える。怨恨殺人などや貧困からの犯罪も同様。そこには害意より前に別の感情や原因が存在している。
だから無罪ってわけじゃないが、先ず害意ありきの行為と同列には語るべきではないと俺は考える。これらはハードウェア(外面上)としての悪はあるが、ソフトウェア(動機や心理)としての悪は薄い、あるいは一考の余地ありということ。
逆に法律は破らないまま明確な害意によって動く連中もいる。彼らは自らの手は決して汚さない。どこまでも法を守り、権力に擦り寄り、社会貢献をしながら、その一方で社会のレールから足を踏み外した者やマイノリティを徹底的にいじめ抜く。